うちの施設は、まだ電子カルテでないけど
電子カルテの病院の看護師をみて
気になる事を言っていたことを言っていました。
自分の担当患者なのに
「患者さんの情報を覚えていないのよ~。」
話しをよく聞いてみると
ちゃんと情報は聞けたということだったんです。
何が問題だったのかなと思うと
「電子カルテを見ないとわからないのよ。覚えてるでしょ。普通。」
と憤慨していました。
どうやら電子カルテを持ってきて、確認していたというのです。
一見、正しい行動のように思えるのですが、
何か、腑に落ちなかったので、
記憶に残った出来事でした。
その後、面白い記事を見つけました。
以下の内容でした。
※抜粋です。
この数十年間にオートメーション化が進んだ業界として、航空業界の事例が示されている。機械システムからデジタルシステムへの移行、ソフトウエアとスクリーンの増殖、肉体労働のみならず頭脳労働までもがオートメーション化されたことによって、パイロットという存在の定義自体があいまいになってきているのだ。
実際にパイロット達に「高度にオートメーション化された飛行機を操作する経験によって、自分の手動操縦能力が影響されたと思うか」と尋ねると、4分の3以上が「スキルが衰えた」と回答し、スキルが向上したと感じているのはごくわずかであったという。
また電子記録を採用しているプライマリーケアの医師たちを対象にした研究では、「医療知識の減少」「患者をステレオタイプで見ることの増加」など様々な観点から、スキルの低下を確認することができたのだ。
にもかかわらず、なぜ世の中はオートメーション化の道をまっしぐらに歩んできたのだろうか。そこにはデカルト以来の二元論に基づく、大きな誤解が存在していた。それが著者の言う「代替神話」というものである。
これは、仕事が個々のタスクに分けられ、各々は全体の仕事の性質を変えることなく個別にオートメーション化できるという、誤った前提のことを指す。「ルーティンな労働は機械に任せて、人間はもっとクリエイティブなことに専念するようになるのだ」という幻想も、このような言説に端を発するのかもしれない。
しかし労働節約のための装置は、決してある仕事の中から切り離し可能な限られた部分のみを代替するわけでない。そしてその結果、以前は「人間の筋肉に取って代わる」役割に過ぎなかった機械が、「人間の脳に取って代わる」領域に迫りつつあることも、また事実である。
思考と行動が不可分であることを示す一例として挙げられるのが、現代の心理学・神経科学で注目を集める「身体化された認知」という概念である。「思考」を生成するプロセスは、全身の動きや感覚的知覚からも生じており、認知機能は身体の様々な場所に分配されているのだという。
思考や記憶、スキルの発達において、身体的行動と感覚的知覚が重要な役割を果たしていると科学者たちが発見しつつあるまさにその時、一方ではオートメーション化が進み、コンピュータ・スクリーンという抽象的媒体を通じたやり取りが増えているのは、何と皮肉なことなのだろうか。*1
その事柄を表しているものが
身近な現場で起きているのだなと
実感しました。
じゃ、どうしたらいいんだよ。(怒)
マニュアル化が進んでいる職場環境が
考えるという行為を無くしてきているのではないのかと思いました。
自分の体を
どう管理していけばいいのか
悩んでしまいました。